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広島高等裁判所松江支部 昭和30年(ネ)67号 判決

控訴人 恩田賢吉

被控訴人 国

主文

原判決を次のとおり変更する。

被控訴人国は控訴人に対し金二万円及びこれに対する昭和二九年一月一〇日から完済まで年五分の割合による金員を支払わなければならない。

控訴人のその余の請求を棄却する。

訴訟費用は、第一、二審を通じてこれを二分しその一を被控訴人の負担とし、その余を控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は「原判決を取消す。被控訴人は控訴人に対し金十一万四千六百七十四円及びこれに対する昭和二九年一月一〇日から完済まで年五分の割合による金員を支払わなければならない。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴代理人は「本件控訴を棄却する。控訴費用は控訴人の負担とする。」との判決を求めた。

事実竝びに証拠の関係は控訴代理人において甲第十四号証の一乃至六を提出し、当審証人山崎季治の証言を援用し、被控訴代理人において甲第十四号証の一乃至六の原本の存在竝びに成立の真正を認めた外原判決に記載せられたところと同一であるから、これを引用する。(原判決理由欄中係官に過失があつた旨の控訴人主張事実を含む。)

理由

(一)  国家地方警察鳥取地区警察署において公職選挙法違反被疑事件につき鳥取県気高郡大郷村大字金沢福政義孝を取調中同人の供述により昭和二八年五月七日「同郡日置谷村中田玉平の使者と称する同郡勝谷村大字岡木恩田某五〇歳位の者が同年四月一三日か一四日の午後三時頃右福政義孝方において同人に対し同月行われた参議院議員通常選挙の地方区立候補者三好英之に投票を得しめる買収費として金一万円を交付した」旨の容疑事実を発覚したこと、

(二)  鳥取地区警察署において同年五月一三日控訴人の任意出頭を求めて取調べたところ控訴人は巡査部長戸田実及び巡査足羽一正の取調に対し容疑事実を否認したが、同警察署係官は同日午後五時頃同署捜査室において控訴人を右福政義孝に望見(所謂面通し面割り)させた上控訴人を右容疑事件の恩田某に相違ないと認めて警部補瀬田敏徳において同日鳥取地方裁判所裁判官に対し前記と同旨の被疑事実につき控訴人に対する逮捕状を請求しその資料として(1) 同月七日附司法警察員川口祐志作成にかかる福政義孝の供述調書(2) 同月一三日附司法警察員戸田実作成にかかる福政義孝の供述調書(3) 同日附同司法警察員作成にかかる同人の供述調書を添付したこと、

(三)  鳥取地方裁判所裁判官秋山哲一は右請求を受けて即日逮捕状を発したので同日右逮捕状が執行されたこと、

(四)  同月一五日に至り、控訴人は司法巡査倉本重雄に対し、福政に手交した買収費は衆議院議員徳安実蔵のためのものであるという点を除き被疑事実一切につき詳細な自白をし、事件は同日身柄拘束のまま鳥取地方検察庁に送致せられたこと、

(五)  同検察庁検事及川直年が同月一六日控訴人に対し被疑事実について弁解を求めたところ控訴人は前記倉本巡査に対してしたと同様の自白をし、同検事は同日逮捕状請求書記載と同一の被疑事実について鳥取地方裁判所裁判官に対し控訴人の勾留を請求したが右請求には逮捕状請求書に添付された書面の外更に同月一五日附司法巡査倉本重雄作成にかかる控訴人の自白調書、同月一六日附検事及川直年作成にかかる控訴人の弁解録取書を含む一件捜査記録が資料として添付せられたこと、

(六)  鳥取地方裁判所裁判官秋山哲一は同月一六日勾留状を発し、右勾留状は即日執行せられたこと、

(七)  及川検事は同月二十五日なお捜査を継続する必要があるものとして同裁判所裁判官に対し一〇日間の勾留期間の延長を請求し右請求は同日秋山裁判官により許可せられたが右請求書には勾留請求書に添付せられた書面の外同月二〇日附及び同月二二日附前記倉本重雄巡査作成にかかる控訴人の供述調書二通を含む一件捜査記録が資料として添付せられたこと、

(八)  同月二九日控訴人は検察官山崎貞一に対し自白を飜しそれまでの自白は虚偽の事実であると供述するに至つたこと、

(九)  及川検事は同年六月二日控訴人に対する捜査を一まず打切り処分保留のまま控訴人を釈放したこと、

(十)  その後数日を経て右被疑事件の真犯人は控訴人ではなく、訴外恩田一であることが判明し同年六月三〇日控訴人に対し不起訴処分がなされたことはいずれも当事者間に争がなく、成立に争のない乙第三、四、五号証に原審証人戸田実の証言を綜合すれば

(十一)  前記(一)の容疑事実が発覚して、国警鳥取県本部捜査課において宝木地区署長に照会の結果同年五月一一日恩田某が勝谷村大字恩田善信と推定される旨の回答があつたので同月一三日右恩田善信を取調べたところ同人に対する嫌疑は霽れたが同人より勝谷村大字岡木には恩田姓の者が農業恩田賢吉の外三名の者が居住するけれども右四名の内三好候補のため中田玉平の依頼を受けて選挙運動をすると思われる者は恩田賢吉である旨の供述が得られ、控訴人に対する取調が開始されたのはそのためであることを認定することができる。

本件は捜査官及び裁判官が前記(一)の被疑事件につき無辜の者を犯人と過り控訴人に対して犯罪の嫌疑をかけて逮捕勾留した事案である。そこで本件の要点は控訴人の逮捕勾留に関与した係官において恩田某に当るものが控訴人であるとしてこれに嫌疑をかけるに至つた過程に過失があつたか否か及び勾留を継続し且つ勾留期間を延長したことに過失があつたか否かであつて、本件の争点も右の点に関するものである。

一、逮捕、勾留についての過失の有無

控訴人が係官の過失として主張するのは左の四点である。(以下の四点はなお勾留の継続及び勾留期間の延長に関しても主張されるところである。)

(イ)  不正確、瞹味で信用性に乏しい福政義孝の供述のみを信頼して逮捕、勾留したのは係官の過失である。

(ロ)  前記(二)の犯罪当時における控訴人の行動につき裏付捜査を遂げずに逮捕勾留したのは捜査の重大なる欠陥であり、捜査官の過失である。

(ハ)  勾留当時及びその後控訴人の家族につき控訴人の不在証明書につき捜査をしながら控訴人に有利なその証拠を抹殺したのは捜査官の過失である。

(ニ)  真犯人でない控訴人が自白したのは捜査官の強要誘導によるものであつてこの点に捜査官の過失がある。

なるほど控訴人を逮捕勾留したのはそれに関与した係官に過誤があつたからに外ならないけれどもこれは事の結果として判明した事実であつて、逮捕又は勾留の当時の資料に基いて係官の判断及び処置が客観的にみて合理的であり、その職にある者をして本件係官と同一の局に当らしめた場合には何人も同一の結果をみるに至つたであろうと推認される限り本件係官に過失があつたものとすることはできない。

そこで(イ)の主張について考えてみると逮捕勾留の資料となつたのは福政義孝の供述のみではなく前記(十一)の事実があり、勾留についてはなお逮捕後における控訴人の自供調書が重要な資料となつている。何人かが前記(一)の選挙違反を犯したことは当事者間に争のない事実であり、犯人の住所と認められる部落に同姓の者が四名あり同部落の有力者と認められる者が選挙運動をすると思われる者は控訴人であると供述し、右選挙買収犯罪の被供与者において面割りの上控訴人が十中八、九供与者に相違ないと供述し右各供述者の供述にさしたる疑を挾む余地のない限り捜査官が控訴人に対して右犯罪の嫌疑をかけその逮捕を請求し、裁判官が右請求を容れて逮捕状を発するのはむしろ止むを得ないところであると認められる。万一右供述が真実に反していたとすれば無辜の者が逮捕、勾留の憂き目をみることは数の免れないところであるが、犯罪の捜査のための逮捕についてはその性質上法律は有罪判決をする場合に犯罪事実の存在を確信する程度の証拠が要求せられるのと異り犯罪を犯したことを疑うに足りる相当な理由が存在することを以て足るとしているのである。

勾留の請求竝びに勾留状の発行についても右と同様に解せられるのであつて(イ)の主張は到底肯認することができない。

次に(ロ)の主張について考えてみると、控訴人に対し前記選挙違反の被疑者として嫌疑をかけるに足る資料が十分であつたことは前段説明のとおりであるから、右資料に加えて更に犯罪時における控訴人の所在、行動につき裏付捜査を逐げなかつたことを以て捜査上過失があつたとの所論には到底左祖し難い。

被疑者を逮捕、勾留するに当つては常に必ずしも犯罪時における被疑者の所在、行動に対する裏付捜査を必要とするものではない。右の如き裏付捜査を必要とするのは寧ろそれまでに蒐集せられた資料のみでは被疑者を逮捕勾留するについて資料が不十分であると認められる場合か、又はそれまでの資料によつてその者に犯罪の嫌疑をかけたのが誤りであつたのではないかとの疑を生じた場合であつて、本件の場合はこの何れの場合に当るものとも認められない。犯罪の捜査検挙は迅速になされることが最も肝要でありことに選挙違反事件においては証拠の主たるものが関係者の供述であるため証拠の隠滅が容易であることに鑑みれば右(ロ)の主張は更にその根拠に乏しいものといわざるを得ない。

(ハ)の主張の当否について考えてみると原審証人恩田きみの証言によれば同人は五月一七日控訴人の前記(一)の犯罪当時における所在行動につき司法警察職員の取調を受け、同月二〇日頃更に倉本重雄巡査の取調を受けて調書が作成せられたことを認めることができ、右調書が一件記録に編綴された形跡のないことは極めて不当であり犯罪の疑をすら抱かせるものがある。しかしながら右の所謂不在証明に関する調査は本件逮捕、勾留後のことであつて、逮捕、勾留につき過失があつたか否かの点については影響を及ぼすものではないと解せられる。控訴人勾留前にその不在証明につき証拠が蒐集せられたことを認むべき資料はない。

次に(ニ)の主張の当否について考えてみると何人も自己に不利益な供述を強要されない権利を有し、強制、拷問又は脅追による自白は刑事訴訟法において証拠能力を否定せられているのであるが、他面犯罪事実に最もよく通暁しているのは犯罪者自身であるから犯罪事件の捜査に当る者が被疑者に対し、被疑事実についての弁解を求めると同時にそれについての供述を要求するのは自然の数であつて、右供述の要求が任意の供述に止まる限り違法となし得ないのみならず、捜査官に過失があるものとすることもできない。右の任意の供述とは自由意思の下になされた供述、換言すれば自由意思を失わない精神状態の下になされた供述を指すものと解せられるのであつて、捜査官の取調は説得、違法に渉らない誘導、その他自由意思を失わせるに至らない程度の威圧(身柄の拘束それ自体が通常人に対しては重大なる精神的威圧である)を加えることがあつても必ずしも違法であり、過失があるものとはなし得ない。本件において控訴人は全く身に覚えのない犯罪事実について自白しているのであるから右自白当時における控訴人の精神状態は異常であつたか、少くとも全く自由な状態にはなかつたことが推認せられるのであるが、成立に争のない乙第十四号証の記載に徴すれば捜査官の取調の如き違法があり、捜査官に過失があつたものとは認められない。

結局本件逮捕勾留を請求し、逮捕状、勾留状を発した係官に過失があつたものと認めることはできない。

二、十日の期間が満了するに至るまで勾留を継続したことについての過失の有無

控訴人は無辜の事実につき犯罪の嫌疑を受け適法に勾留を受けたものであるが、刑事訴訟法二〇八条によれば十日間勾留を継続するか否かは一応検察官の裁量に委ねられ、検察官においてその必要を認めるに限り右期間の満了に至るまで勾留を継続することを許容せられているものと解せられる。固より検察官においてその必要がないと認めるにも拘らず被疑者を直ちに釈放しなかつたとすれば右検察官の所為は違法であるのみならず過失があるものといわなければならないが、本件についてみると成立に争のない乙第十、十一号証によれば倉本重雄巡査は勾留期間中五月二〇日、二二日の二回にわたり控訴人を取調べたことが明かであり原審証人山崎博正の証言によれば主任検事及川直年において勾留期間中数回にわたり控訴人を取調べたことが認められること及び原審証人花房多喜雄の証言によれば福政義孝の再三にわたる前記の如き供述にも拘らず中田玉平において控訴人に対し前記(一)の金員の手交を依頼したことを否認していたものと推察されることに鑑みれば検察官において十日間勾留を縦続したことを以てその必要なきに拘らず故なく控訴人を拘束したものとも解し難く、検察官の右の所為を以て過失あるものとすることはできない。

三、勾留延長についての過失の有無

刑事訴訟法二〇八条によれば検察官は止むを得ない事由があるときは裁判官に対して勾留期間の延長を請求することができ裁判官は止むを得ない事情があると認めるときはこの期間を延長することができることになつている。右に止むを得ない事由があるとは事案の複雑、関係人の多数、重要参考人に対する取調の支障の如き事由が存在して被疑事実について起訴、不起訴を決定するためなおその捜査を継続する必要上その期間を延長することが客観的にみて真にやむを得ないと認められる場合でなければならないと解せられるから、本件について右の如きやむを得ない事由があつたかについて審按すると、勾留の基礎となつた被疑事実は「控訴人が四月上旬頃同月二五日施行の参議院議員通常選挙にあたり鳥取県より立候補した三好英之に当選をさせる目的で福政義孝方で同人に対し右候補者のために投票取纒めの選挙運動を依頼し投票買収竝びにその報酬として現金数万円を供与した」との単純な一個の事実であり、重要参考人と認められる者は右福政義孝及び控訴人に対し右金員を交付した者と推定される中田玉平の二名に過ぎず、しかも原審証人福政義孝、同花房多喜雄の各証言によれば右両名は控訴人と同じ頃鳥取市内において勾留せられていたことが明白である。原審証人山崎博正の証言によればなるほど当時鳥取地方検察庁には百名前後の公職選挙法違反事件が送致されていたものと認められ(もつとも右の約百名中幾名が身柄の拘束を受けていたかは不明である)るから、右被疑事件の主任検事において当時かなり多忙であつたことを推認するに難くないけれども、この事実の故に前記の如き単純な事案につき更に捜査する必要があつたものとも認められず実際においても五月二五日勾留期間の延長より六月二日釈放に至るまでの間において検察官山崎貞一の控訴人に対する取調があつた外他に捜査が行われた形跡を認めることはできない。

しかのみならず控訴人に対する司法警察職員又は主任検察官の取調に強要があつたものと認められないことは前記のとおりであるが、成立に争のない甲第三、六、十号証原審証人倉本重雄、同花房多喜雄、同山崎博正、当審証人山崎季治の各証言及び原審における控訴本人尋問の結果を綜合すれば右自白は控訴人の全く自由なる意思に基くものではなく、控訴人は捜査官に対し自白を飜して、容疑事実になんらの関係がなくそのことを証明すべき資料の取調を求めようとした事実があり、主として控訴人の取調に当つた倉本巡査及び及川検事自身においても控訴人の自白内容の真実性につき疑念を懐いていたことを認め得るにも拘らず、同巡査及び同検察官において控訴人の弁解及び不在証明となるべき資料の取調の申出を十分に聴取して勾留期間内にその十分なる取調をなした形跡を窺うことはできず、なお、控訴人と前記中田玉平を面接或は面談させて事実の解明に努力した形跡を認めることもできない。もし右の如き取調を十分に遂げたとすれば控訴人が無辜であることが立証し得られ控訴人に対する嫌疑が速に霽れて十日の勾留期間満了前に控訴人の釈放をみるに至らなかつたとはいえないのである。

担当検察官において控訴人の自白に任意性を疑うべき事情が全くなく信憑力あるものと解したのであれば、控訴人に対する取調は前後数回行われ、その調書も作成せられ、且つ福政義孝に対する取調も尽されていたのであるから、検察官はむしろ十日の勾留期間内に公判を請求するか、控訴人を釈放した上略式命令を請求すべきであつて、新たな証拠資料の存在の考え得られない前記の如き被疑事件について、捜査に名を藉りて勾留期間を延長することは許されないところといわなければならない。

逮捕、勾留は固より、勾留期間の延長も亦人身の自由に対する重大な侵害である。それの許されるのは法律の規定する要件を充足する場合のみに限るのであつて、これを欠くときは許されないこと勿論である。勾留期間延長の要件は前記のとおりであり、事実によつては延長の必要があるか否かの判断が困難である場合が少くないであろう。しかしながら前記被疑事件は以上説明のとおり右の判断を困難ならしめる事情の存在する事案とは到底考えられない。

結局その必要なきに拘らず勾留期間の延長を請求した点、及び右請求を容れて右期間を延長した点において検察官及び裁判官に過失があつたものといわなければならない。

ところで控訴人は控訴人不在のため鳥取駅浜村駅間の家族の往復旅費、及びその日当、弁護人依頼手数料控訴人抑留中の賄料、控訴人に代るべき人夫の雇入費用として合計一万四千六百七十四円の損害を蒙つた旨主張するのであるが、右損害はむしろ前記の過失なき逮捕及び勾留に基因するものであることが窺われるのであつて、右係官の過失ある行為に因るものであると断定するに足る証左はない。而して控訴人が明治二七年一月二五日生れで田一町歩、畑一反二畝を自作し山林約一町歩を有し、農業に従事している者であることは当事者間に争のないところであるから以上の事実に勾留延長後における拘束の期間を斟酌して精神上の苦痛に対する慰藉料の額は金二万円を以て相当と考える。さすれば被控訴人は控訴人に対して金二万円及びこれに対する遅延損害金を支払うべき義務があるものというべく、これと趣旨を異にして控訴人の請求を全部排斥した原判決は失当といわざるを得ない。よつて原判決はこれを変更し訴訟費用の負担について同法九六条、八九条、九二条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 岡田建治 組原政男 黒川四海)

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